Sonntag, 6. Februar 2011

モモ第二章(仮)

その時から物事はうまく進んでいった。少なくとも彼女はそう思った。

彼女は今やいつも、食事に困ることなく、ふつうの人々が食事を調達するぶんだけの時には多く、時には少ない食事をとっていた。彼女は、屋根があって、ベットもある部屋に住み、寒いなと感じたときは火をおこす暖炉もあった。そして、最も重要なことは。。。彼女にはたくさんのいい友達がいた。

モモとても親切な人々に恵まれ、本当に大きな幸せを得たと、人々は今は感がる事ができただろうし、モモ自身もそれに完全に同じ意見だった。そして、周りの人々も、彼ら自身も決して少なくない幸せを得たということに、ほどなくして確信をもって気付くのであった。彼ら自身もモモを必要としており、彼らが、モモのいなかったころがいかなるものだったかということを考えた。そして、その幼いモモは彼らと一緒にいる時間が長くなるほど、彼女は彼らに不可欠なものになっていた。モモはある日を境に????

 ほどなくして(?)モモは実に多くの訪問客を迎えた。人々は困った様子で彼女のそばに座り、彼女と会話をする人を常にじっと見つめた。そして、彼女を必要としているのに、彼女のもとへ行くことのできない人は、彼女のもとへ、迎えを送った。さらに、彼女が必要であるということに気づかない人には、みんながその人に対して言うのだった。「モモのところに行ってきな」と

「モモのところに行ってきな」という文は、近所に住む人々の間で、次第に語り草となった。人々が「またね」とか「いただきます」とか、「神のみぞ知る」と同様に、機会あるごとに「モモのところに行ってきな」と言っていたのである。

でもそれはなぜなのだろうか?モモは、どんな人間にも良いアドヴァイスができるような、信じられないほど明晰だったのだろうか?慰めを必要としてる人あれば、その人にあった、正しい言葉を見つけたのだろうか。彼女は絶妙な判断を下すことができtのだろうか。

答えはノーだ。モモは他の子供と同じように、それらすべての子とはほとんどできなかった。

モモはおそらく人々を良い気分にさせることができたんじゃないだろうか?彼女は、たとえば、歌声がきれいだったりしたのではなかろうか?もしくは、なにか楽器が弾けたとか?もしくは彼女は、なんせサーカスみたいなところに住んでいたんだから、やはり踊ることや、アクロバティックな名人芸を見せてくれるんではないだろうか。

ノー。それも間違い。

じゃあ彼女は魔法が使えたのか?もしくはすべての人々の心配や貧困を取り除くことあできる秘密の言葉でも知っていたんじゃないか?手相を読めたり、未来を予言することができたんじゃなかろうか?

そのどれでもない。

他の人ができなくて、彼女ができること。それは「聞くこと」だった。

それって何も特別なことではないだろう!ここで読者諸君は不満を言うかもしれない。聞くことは、誰にだってできるのだから。

しかし、それは間違いである。本当の意味で「聞く」というのは、本当にわずかな人にしかできないことである。そしてモモのように「聞くこと」を理解している人は、ごくごくまれであった。

モモは、愚かな人々に、とても賢い考え方を思いつかせるような聴き方をした。他の人たちが必要としているそのような考えを言ったり、聞いたりしなかった。彼女は単にすべての注意力を駆使し、同情の気持ちで、彼らの前に座り、そして文字通り「聞いた」のである。その時彼女は、大きくて、真黒な瞳で人々を見つめ、

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