Sonntag, 28. November 2010

Momo Ersten Kapitel

大きな町と、小さな女の子

昔々、まだ人間たちが今と全くと違う言葉を喋っていたころ、心温かい国々のなかに、大きくて、立派な町が複数あった。そこでは王様と皇帝の宮殿がそびえ立っていて、広い道もあるけど、狭いくて入り組んだ路地もあった。金ぴかで、大理石でできたイエス様の彫刻があるとてもきれいな神殿もあった。さらに、あらゆる紳士の国からやってきた商品が売り出されている、ごちゃごちゃした市場があったり、人々が集まって、ニュースを伝えあったり、世間話をしたりするような、広くてきれいな広場もあった。そして、とりわけお伝えしたいのはこの町にある複数の劇場である。
この劇場は、いまでいうところのサーカスに外見がよく似ているけれど、今と違って、全体が石垣でできていた。観客席の座席は巨大な漏斗のようにお互いに階段状に横たわっていた。上からみたら、その建築物の造形の多くは円形だったり、もっとまんまるとしていたり、もしくは半円状に建築されたものだったりした。人々はこれらの建物を総じてアンフィシアターとよんでいた(アンフィシアター=野外円形だつも げふんげふん 野外円形劇場)

その円形劇場は、サッカー場ほどに大きいのもあれば2,300人ぐらいの観客しか収容できないものもあった。

記念碑や銅像で飾られたすばらしいものがある一方で、飾り気のなくて、イケてないものもあった。これら劇場には屋根というものがないく、すべてが広々としたお天道様の下で開かれていた。そんなわけで、立派な劇場では、強い直射日光や突然の雨から観客を守るための金ぴかの絨毯が座席の上に広げられていた。、一方でイケてない劇場はというと、金ぴかの絨毯のかわりにイグサや藁でできたマットが使われていた。そこにはこう書いてあった。<等劇場では、皆さんが奮発できたのと同じように、絨毯を奮発して用意しました。みなさん熱狂的なお客さんで、それぞれ一枚ずつ望まれていたので。>?

もし舞台上で、感動的、もしくは喜劇的な出来事に観客が聞きいったら、それらは客たちのところにあるので、あたかも????そして、彼らはこの別の真実を盗み聞きするのを好んだ。???

それから1000年の時が流れた。当時の大きな町は滅び去り、神殿や宮殿も取り壊された。風や雨、寒さは熱が、石垣を磨き落として、穴をあけた。そして大きな劇場ですら、まさしく廃墟となった。ボロボロになって砕けてしまった壁で、今はセミが、彼らの単調なメロディーを奏でているだけで、それは、世界が寝息を立てているかのようにも聞こえた・
しかし、今日まで残っている町もあった。もちろんそこに住む人々の生活は」変わってしまったけど。人々は道路で車を走らせているし、電話だって、電気だってもっていた。でも、そんな新しい街並みの中に、いくつか彫刻の施された柱や、扉や、壁の一部やもしくは劇場が、当時の姿のままがのこっていた。そして、そんな街からモモの物語が始まった。

22:00
大きな町の南の端のほうにいくと、すでに野原が広がっていて、小屋や家々がますますみずほらしくなっていく。そんな場所に、松の林に隠れたところに、小さな野外円形劇場の廃墟があった。それはかつても豪華さに欠け、東寺においても、いわば貧しい人たちのための劇場であった。我々の時代、すなわちモモの物語が始まる時代には、その廃墟はまったくもって忘れ去られていた。考古学者の一部はそれを知ってはいたものの、もはやこの廃墟に関心がなかった。というのは、そこにはもはや研究すべきものがなかったからだ。その廃墟は、大きな町にある他の観光名所と比べても見どころもない。ときどき数人の観光グル―プがこの廃墟に迷い込こむ。草が茂った客席によじ登って、わいわい騒いで、記念写真をとったら、またどこかに去ってしまう。そしてまた石でできた廃墟に静寂が戻り、セミたちがまた、終わりのない合唱を始める。ついでに言っておくと、依然と全く変わり映えのしない歌である。

実際には、その廃墟の近くに住む人々だけは、この奇妙で丸い建築物の存在を知っていた。彼らはそこにヤギを放牧したり、子どもたちはその丸い場所を、ボール遊びの場所に使ったり、ときどき、カップルが夜中にそこで会っていたりした。
しかし、ある日、その周囲の人々の間で、最近誰かがその廃墟に住んでいる、という噂が広がった。それは子供で、おそらくちいさな女の子。ただし、ちょっと不思議な服装をしているので、誰も確かなことは言えない。モモとかそれに近い名前らしかった。
モモは実際、いくらか奇妙な外見をしていた。そして、服装というものは清潔であるべきで、きちんとしておくべきだという点を重要視する人間にとっては、ひょっとすると少し驚かせるような服装だった。

彼女は小さくて、とても痩せていたので、人々は彼女が8歳なのか12歳なのかという彼ら一番の興味をうかがい知ることはできなかった。彼女は、ボウボウで、真黒なカールの髪の毛をしていた。それはあたかも一回も櫛やハサミで手入れをしてないかのような外見だった。彼女はまた、大きくて、とてもきれいで、おまけに真黒な目と足をしていた、目と足の色が全く同じなのは、彼女はたいていはだしで歩いていたからだ。冬だけ、ときどき靴をはくけれども、両足の靴は同じものではなく、さらには彼女には大きすぎるものだった。モモが何も所有していないことを考えれば、彼女はどこかで見つけたか、どこかで貰ってきたのだろう(?)
彼女のスカートは、さまざまな布の切れはしがぐちゃぐちゃに縫い合わされていて、長さは彼女のくるぶしほどもあった。
その上に彼女は古くて、これまたとても幅の広い男性用コートを着ていた。その袖を彼女は手首までまくりあげていた。彼女はまだまだ成長すると将来のことを見越していたので、袖を着るということはしたくなかった。そして、いつか、彼女は本当にきれいで実用的なコートをたくさんの鞄を発見するなんて、誰が想像するだろうか。(非現実)
廃墟の草で覆われたステージの下に、半分崩れかかった小部屋があって外壁の穴から中に入ることができた。モモはそこに家具を整え、家としていた。
とある日のお昼ごろ、何人かの大人の男女が近隣からモモのもとに、モモに根掘り葉掘り質問しようとやってきた。モモは彼らの向かいに立ち、不安そうなまなざしで彼らを見つめていた。というのも、彼らがモモを追い払おうとしてるのではないかと恐れたからだ。しかし、モモはすぐに彼らが友好的な人たちであることに気付いた。彼ら自信も貧しく、生活というものを知っていた。
「ねえ」男性陣の一人が言った。「ここを気に気に入っとるんか?」
「うん」とモモは答えた。
「君はここにずっとおるつもりか?」
「そうね」
「でも、君はどこにも行くところがあらへんの?」
「ないわね」
「思うに、君はおうちにかえらなくてもええのん?」
「私はこの家にいるじゃない」モモは素早く断言した。
「どっから来たん?お嬢ちゃん?」
モモはおぼつかない手つきで、どこか遠くを指差した。
「一体ご両親はだれなんや?」その男はさらに追及する
モモはその男や他の人々をどうしてよいかわからない様子で見、少しばかし肩を上にあげた。人々はお互いに目配せし、ため息をついた。
「心配することあらへん」その男は続ける。
「我々は君を追い出そうなんて思ってへんねん。きみを助けたいとおもってるんやで」
モモは黙ったままうなずいた。でもまだすべてを納得したわけでもなかった。
「君の名前はモモっちゅうんちゃうかったかな?そやろ?」
「そうよ」
「そりゃかわいい名前や。まだ聞いたことの名前やけどな。で、その名前は誰がつけたんや?」
「私」モモは言った
「ちゅうと君が自分でそう名付けたんかいな。」
「そう」
「一体いつ生まれたんや」
モモは考え込み、そしてやっと口を開いた「私が思いだせる限りでは、私はずぅっとここにいたわ」
「君が知っているところの、おばちゃんや、おじさんも、おばあちゃんも、もっというと家族はいないのかい?(なんとなく意味はわかるのだけれども、直訳できない)」
モモは男をちらっと見て、しばらく沈黙した。
そして呟いた。「私はこの家にいるの」
「さよか。」男は言った。「でも君はほんの子供や。実際何歳なんや?」
「ひゃく」モモはためらいながら答えた。
人々はそれがジョークの一種だととらえて笑った。
「なるほどな、で、本当に何歳なんや?」
「ひゃくに」モモは答えた。依然として、いくばくか自信がなさげであった。
人々が、この子が、どこかで小耳にはさんだ、いくつかの数を表す言葉しか知らないということ、そして誰も彼女に数を数えることを教えなかったので、それ以下の数字を連想することができない、ということを気づくまでに、いくらか時間がかかった。
「よくきくんやで」男は他の人々と相談したのちに、そういった。
「我々が警察に、君がここにいるって伝えることは、君にとって適切なんとちゃうやろか?(控えめな提案)そしたら君は、食べるものをもらえたり、ベットで寝れたり、計算や読み書きやいろんなことを勉強できるようなおうち(実際には施設なんだろうけれども、Heimってなんかおうちっていうイメージがある)に行くことになる。これについて君はどうおもうやろか?え?」
モモは彼をびっくりした様子でみた。
「いやよ」彼女は呟く。「そこに行くつもりはないわ。私そこに一回いたことがあるの。他の子供たちもそこにいたわ。窓に柵がついてた。毎日毎日、理不尽に殴られるの。私は夜に壁をよじ登ってそこから逃げたわ。私は二度とあそこには戻らない。」
「それは理解できる」一人の年老いた男性がそう言い、うなずいた、そして人々もその子を理解し、うなずいた。
「それはいいけど」一人の婦人が口を開いた「でもあなたはまだ小さいわ。誰かがあなたをせわしなくちゃいけないでしょ。」
「私(が私の世話をする)」モモはほっとしたように答えた。
「あなたにそれができるっていうの?」その婦人は問う。
モモはしばらくだまり、そして静かにこう言った「わたし多くのものを必要としないもの」
再び人々は目配せをし、ため息をつき、うなずいた。
「モモ、しっとるか?」初めに話しかけてきた男の人が、また言葉を発した。「我々はおそらく我々の中野一人が君をかくまうこともできると考えてるんや。我我はたしかに住んでる家も小さいし、多くは、すでに食べさせなきゃいけないたくさんの子供がおる。それでもしかし、我々は、(わからない)これについてはどう思う?え?」
「どうも御親切に」モモは言った、そして初めてわらった。「どうもありがとう。でもあなたたちは、単純に私をここに住まわせることはできないの?」
人々は行ったり来たりしながら長い間話し合い、最終的に彼女の言い分に同意した。
彼らは、この子が彼らのもとで生活するのと同じような生活をができると考え、また、いずれにせよ、一人が我々のうち一人が面倒を見るより、みんなが一緒にめんどうを見たほうがより容易であるだろうことから、彼女をみんなで一緒に世話をしようと考えた←まったくもって自信なし。
人々はすぐに、半分倒壊した石造りのモモが住んでいる部屋を掃除して修理をし始めた(so es gut gingそのたもろもろわからない)彼らのうちの一人で、むかし石工をしていた男は、さらに小さな石造りのかまどを作った。錆びた暖炉の室内煙突も手に入れた。一人の年老いた家具職人がいくつかの木箱から、かわいい机と二つの椅子を組み立てた。

Freitag, 26. November 2010

とある日のお昼ごろ、何人かの大人の男女が近隣からモモのもとに、モモに根掘り葉掘り質問しようとやってきた。モモは彼らの向かいに立ち、不安そうなまなざしで彼らを見つめていた。というのも、彼らがモモを追い払おうとしてるのではないかと恐れたからだ。しかし、モモはすぐに彼らが友好的な人たちであることに気付いた。彼ら自信も貧しく、生活というものを知っていた。
「ねえ」男性陣の一人が言った。「ここを気に気に入っとるんか?」
「うん」とモモは答えた。
「君はここにずっとおるつもりか?」
「そうね」
「でも、君はどこにも行くところがあらへんの?」
「ないわね」
「思うに、君はおうちにかえらなくてもええのん?」
「私はこの家にいるじゃない」モモは素早く断言した。
「どっから来たん?お嬢ちゃん?」
モモはおぼつかない手つきで、どこか遠くを指差した。
「一体ご両親はだれなんや?」その男はさらに追及する
モモはその男や他の人々をどうしてよいかわからない様子で見、少しばかし肩を上にあげた。人々はお互いに目配せし、ため息をついた。
「心配することあらへん」その男は続ける。
「我々は君を追い出そうなんて思ってへんねん。きみを助けたいとおもってるんやで」
モモは黙ったままうなずいた。でもまだすべてを納得したわけでもなかった。
「君の名前はモモっちゅうんちゃうかったかな?そやろ?」
「そうよ」
「そりゃかわいい名前や。まだ聞いたことの名前やけどな。で、その名前は誰がつけたんや?」
「私」モモは言った
「ちゅうと君が自分でそう名付けたんかいな。」
「そう」
「一体いつ生まれたんや」
モモは考え込み、そしてやっと口を開いた「私が思いだせる限りでは、私はずぅっとここにいたわ」
「君が知っているところの、おばちゃんや、おじさんも、おばあちゃんも、もっというと家族はいないのかい?(なんとなく意味はわかるのだけれども、直訳できない)」
モモは男をちらっと見て、しばらく沈黙した。
そして呟いた。「私はこの家にいるの」
「さよか。」男は言った。「でも君はほんの子供や。実際何歳なんや?」
「ひゃく」モモはためらいながら答えた。
人々はそれがジョークの一種だととらえて笑った。
「なるほどな、で、本当に何歳なんや?」
「ひゃくに」モモは答えた。依然として、いくばくか自信がなさげであった。
人々が、この子が、どこかで小耳にはさんだ、いくつかの数を表す言葉しか知らないということ、そして誰も彼女に数を数えることを教えなかったので、それ以下の数字を連想することができない、ということを気づくまでに、いくらか時間がかかった。
「よくきくんやで」男は他の人々と相談したのちに、そういった。
「我々が警察に、君がここにいるって伝えることは、君にとって適切なんとちゃうやろか?(控えめな提案)そしたら君は、食べるものをもらえたり、ベットで寝れたり、計算や読み書きやいろんなことを勉強できるようなおうち(実際には施設なんだろうけれども、Heimってなんかおうちっていうイメージがある)に行くことになる。これについて君はどうおもうやろか?え?」
モモは彼をびっくりした様子でみた。
「いやよ」彼女は呟く。「そこに行くつもりはないわ。私そこに一回いたことがあるの。他の子供たちもそこにいたわ。窓に柵がついてた。毎日毎日、理不尽に殴られるの。私は夜に壁をよじ登ってそこから逃げたわ。私は二度とあそこには戻らない。」
「それは理解できる」一人の年老いた男性がそう言い、うなずいた、そして人々もその子を理解し、うなずいた。
「それはいいけど」一人の婦人が口を開いた「でもあなたはまだ小さいわ。誰かがあなたをせわしなくちゃいけないでしょ。」
「私(が私の世話をする)」モモはほっとしたように答えた。
「あなたにそれができるっていうの?」その婦人は問う。
モモはしばらくだまり、そして静かにこう言った「わたし多くのものを必要としないもの」
再び人々は目配せをし、ため息をつき、うなずいた。
「モモ、しっとるか?」初めに話しかけてきた男の人が、また言葉を発した。「我々はおそらく我々の中野一人が君をかくまうこともできると考えてるんや。我我はたしかに住んでる家も小さいし、多くは、すでに食べさせなきゃいけないたくさんの子供がおる。それでもしかし、我々は、(わからない)これについてはどう思う?え?」
「どうも御親切に」モモは言った、そして初めてわらった。「どうもありがとう。でもあなたたちは、単純に私をここに住まわせることはできないの?」
人々は行ったり来たりしながら長い間話し合い、最終的に彼女の言い分に同意した。
彼らは、この子が彼らのもとで生活するのと同じような生活をができると考え、また、いずれにせよ、一人が我々のうち一人が面倒を見るより、みんなが一緒にめんどうを見たほうがより容易であるだろうことから、彼女をみんなで一緒に世話をしようと考えた←まったくもって自信なし。
人々はすぐに、半分倒壊した石造りのモモが住んでいる部屋を掃除して修理をし始めた(so es gut gingそのたもろもろわからない)彼らのうちの一人で、むかし石工をしていた男は、さらに小さな石造りのかまどを作った。錆びた暖炉の室内煙突も手に入れた。一人の年老いた家具職人がいくつかの木箱から、かわいい机と二つの椅子を組み立てた。


Sonntag, 21. November 2010

人生の中間点(訳)

最近俺は驚くべき発見をした。
アルバートアインシュタインは、相対性理論を発表したのは彼が28歳の時。
俺はもうすぐ27歳になろうとしている26歳の男。もうそろそろ、彼が大仕事を成し遂げたときの年齢に近づいているという事実が、俺を悲しませた。
さらには、後にノーベル賞を受賞させる契機となった Buddenbrooksを書いたトーマスマンも同様にして、その作品を書いたのは26歳だった。
さらに俺は悩まされた。といっても、その28歳とかそのぐらいの歳で、何か世界に向けて紹介できるような、彼らと同様な仕事は、俺はしていない。でも、まだまだ理論的にはまだまだ可能だ(まだ何かできるチャンスはある)、ということを先んじて知っている。
もうすぎたことだ。俺は声を大にしていえる。俺は26歳という年を、世界を動かすような仕事を話遂げていない。
初めはこういう風に自問自答していた。「まあ、アルバートシュタインとか、トーマスマンは天才だったもんな」しかし、俺の女友達は再び俺に再考するように というようなことを言った。彼女いわく「私のおっかさんが私裏いに若かったころ、彼女はすでに仕事を習得して、結婚して、子どもも二人いたのよ。それにおうちもたてたけど・・・亡命してすべてを失ったの。彼女は七年かけて、第二の人生をスタートさせたわ。私と言えば、ま第一の人生も始まってないわ(?)」
ひょっとすると、俺についても、少しずつ、期限が近付いているという兆候が始まっているのかもしれない。期限と言うのは、俺が何かを人前に露呈しなければならない期限、そして、「マジで大人になんなきゃなぁ」ではなく、「マジで大人として存在しなければなぁ」と言わなければならない期限である。本当の人生にける準備期間というのは、もう終わりにしなきゃいけない。もはや、俺は、こう言わなくちゃいけない「俺は人生の中間点に立たされている」と。
それにしても、正しい生き方、というものを認識することはあまりにも難しいというわけではない。アビトゥアをとる。専門を選ぶ。迷いから脱する。海外に行く。論文を書く。大学生活を終わらせる。そして仕事を見つける。そこから先は、やはりまだ分からない。

Freitag, 19. November 2010

22:00
大きな町の南の端のほうにいくと、すでに野原が広がっていて、小屋や家々がますますみずほらしくなっていく。そんな場所に、松の林に隠れたところに、小さな野外円形劇場の廃墟があった。それはかつても豪華さに欠け、東寺においても、いわば貧しい人たちのための劇場であった。我々の時代、すなわちモモの物語が始まる時代には、その廃墟はまったくもって忘れ去られていた。考古学者の一部はそれを知ってはいたものの、もはやこの廃墟に関心がなかった。というのは、そこにはもはや研究すべきものがなかったからだ。その廃墟は、大きな町にある他の観光名所と比べても見どころもない。ときどき数人の観光グル―プがこの廃墟に迷い込こむ。草が茂った客席によじ登って、わいわい騒いで、記念写真をとったら、またどこかに去ってしまう。そしてまた石でできた廃墟に静寂が戻り、セミたちがまた、終わりのない合唱を始める。ついでに言っておくと、依然と全く変わり映えのしない歌である。
22:36
ちと休憩 まだまだ続くよ!
23:07
実際には、その廃墟の近くに住む人々だけは、この奇妙で丸い建築物の存在を知っていた。彼らはそこにヤギを放牧したり、子どもたちはその丸い場所を、ボール遊びの場所に使ったり、ときどき、カップルが夜中にそこで会っていたりした。(いかがわしい!)
しかし、ある日、その周囲の人々の間で、最近誰かがその廃墟に住んでいる、という噂が広がった。それは子供で、おそらくちいさな女の子。ただし、ちょっと不思議な服装をしているので、誰も確かなことは言えない。モモとかそれに近い名前らしかった。
モモは実際、いくらか奇妙な外見をしていた。そして、服装というものは清潔であるべきで、きちんとしておくべきだという点を重要視する人間にとっては、ひょっとすると少し驚かせるような服装だった。
23:15
だんだん面白くなってきました
2355
せっかく書いたのに消えました
2356
彼女は小さくて、とても痩せていたので、人々は彼女が8歳なのか12歳なのかという彼ら一番の興味をうかがい知ることはできなかった。彼女は、ボウボウで、真黒なカールの髪の毛をしていた。それはあたかも一回も櫛やハサミで手入れをしてないかのような外見だった。彼女はまた、大きくて、とてもきれいで、おまけに真黒な目と足をしていた、目と足の色が全く同じなのは、彼女はたいていはだしで歩いていたからだ。冬だけ、ときどき靴をはくけれども、両足の靴は同じものではなく、さらには彼女には大きすぎるものだった。(モモが何も持っていない、ということを考えれば、それはたとえばどこかで見つけたか、貰ったのである。?)
彼女のスカートは、さまざまな布の切れはしがぐちゃぐちゃに縫い合わされていて、長さは彼女のくるぶしほどもあった。
0023
その上に彼女は古くて、これまたとても幅の広い男性用コートを着ていた。その袖を彼女は手首までまくりあげていた。彼女はまだまだ成長すると将来のことを見越していたので、袖を着るということはしたくなかった。そして、いつか、彼女は本当にきれいで実用的なコートをたくさんの鞄を発見するなんて、誰が想像しえただろうか。
0025
新しいコートとかばん?接続法二式ですが、未来に関する実現可能?
0037
廃墟の草で覆われたステージの下に、半分崩れかかった小部屋があって外壁の穴から中に入ることができた。モモはそこに家具を整え、家としていた。
0040
そろそろ寝ます。
今日は単語を、なるべくモモに即して別の紙に書きとめてみました。先週の分から総合すると、8×13+4=104+4だから108個ですか。でもだんだん早くなっていくでしょうね。そう願いつつ。面白くなってきたので、ストレスフリーです。

Dienstag, 16. November 2010

ドイツの排水溝用洗剤 ヌルヌルについて。訂正後です

"OO(ドイツ語でヌルヌルと読む)"bedeutet Toilette in Deutschland. Ich bin schon seit 2 Monaten in Deutschland,trotzdem habe ich "OO" an der Teulette nimals gesehen.
Kürzlich,als ich im Supermarkt eingekauft habe, habe ich eine Handelsware gehunden. Es heißt "Null-Bull" und es ist ein Reinigungsmittel für das Abflussrohr. "Null-Null" bedeutet "glatt" oder "glitschig" auf Japanisch und und das ist onomatopoetisches Japanisch. Durch diese Entdekung dachte ich, dass es viele onomatopoetische Namen der Ware oder Ausdrücke gibt. Ich interessierte mich dafür, und schlig im Netz über die Onomatopie Es lautet folgendermaßen:
Das Gehirn des Japaners funktioniert etwas anders im Vergleich yu anderen Rassen im Allgemeinen hört der Mensch die Musil,den Ton der Maschine oder das Geräusch mit der rechten Hirnhälfte,und die Sprache mit der linken Hirnhälfte.
Aber Nur Japaner hören das Weinen das Lache, die Klage, das Zwitschern, den Gesang und auch die Sprache der linken Hirnhülfte.
Deswegen fühlt der Japaner den Ton der Natur und überwsetyt oft ihn ins Japanische.Und ich denke, dass die Waren mit onomatopoetischer Namen sich besser verkaufen.

Montag, 15. November 2010

独作文

独作文のネタ。最近独訳しやすいように日本語を考えてしまう癖がついてしまいました。
とりあえず、紙に向かわず考えようということで、ブログに吐きだした文章を独訳しようと思っている次第です。

ドイツの教育

真昼間にバスに乗っていると、下校中の子供たちに出会う。ドイツでは学校は午前中に終わり、家に帰って母親と御飯をたべ、その後、母親が勉強の面倒をみる。私の故郷では、学校は早くとも15時までかかり、その後、一部の人は、塾に行ったりする。家で親が勉強の面倒をみるというのは、まれである。だから、真昼間に子供がランドセルをしょってバスに乗っているのを見ると、私は、病気で早引きかな、と思ったものである。
私の専門は教育ではないので、以下の文章は推測の域を出ないのをあらかじめ述べておく。
家で母親が勉強の面倒をみるというのは、私の故郷の教育のやり方、つまり、外部の組織に一任してしまうという手法に比べて、とても優れていると感じる。
一つ目は自発的な学習の誘発である。母親が面倒をみると言っても、何も母親がエリートである必要は全くない。内容をつぶさに教える必要はない。むしろ、母親の役割は、子どもの自発性の誘発にある。子供の自発的な学びを褒めたり、方向を示唆することで、与えられて学ぶのではなく、自発的に学んでいくことに慣れる。自発的に学ぶことが当たり前になってしまえば、極論すれば、学校に行かずとも、学問はできるのだ。このことは、一生を通じて、その人の知的活動を支えるものである。

教育は家庭教育と学校教育二つのバランスが大事だとおもう。私の祖国では、共働きの家庭が多いため、夜遅くまで学校に残らざるを得ないという子供が大勢いる。これは教育上危惧すべきことだということで、さまざまなボランティアが、読み聞かせをしたり、子どもの世話をしている。この活動はとても尊いものであるが、しかし、本物の家族による教育に勝るものはない。いつか、子供たちが今よりももっと家族と時間を過ごすことができるようになるように、若い世代が、社会の仕組みを少しずつ変えていくべきである。


追記。
日本語に理論展開が崩壊していますが、ドイツ語に訳するときに若干の修正をして、訳し終わりました。これが真っ赤に添削されて帰ってくるわけです(-。-)y-゜゜゜

Sonntag, 14. November 2010

野生の動物にえさをやる??必要ない!


野生動物たちが町に住んでいる-多くの人たちは、このことをしらない。

一部の人たちは、野生の豚、キツネ、そしてアライグマが町に迷い込んでしまっていると考え、そして、その動物たちを助けようとする。餌を与えるのである。とてもよい心ざしだが、しかし、それは危険たりうる。
動物たちは、極めて早く新しいえさ場に定着する。そして彼らはいつもすぐに同じ場所に戻ってくる。その結果、人間を恐れなくなる たとえば、厚かましくなって、ますます多くの餌を求めようとする。そ唸ってしまうことでとりわけ野生の豚は庭や公園に大きな損害をもたらす。彼らの力づよい鼻で、庭や公園の柵を曲げてしまうのである。 もしくは土や堆肥を球根や、野菜のような餌を求めてを掘り起こす。そして攻撃的にすらなりうる。
時に、餌食をされた動物たちは、人懐っこいために、人々はな出たい衝動に駆られる。これはたとえばキツネ問題についての例であるが、キツネは極めて早く人間になれる。 そして、人間が近づいても逃げなくなり、しまいには威嚇したりかみついたりする。


野生動物が町にいることをよきこととしたい人たちは、彼らをそっとしておき、そして餌となるような生ごみはしっかりと動物たちに食べられないようにするのだ。そうすれば、たとえ動物たちが人間と生活空間を共有することになっても、野生の豚や、キツネ、アライグマたちは野生であり続ける。

Samstag, 13. November 2010

状態受動は他の単語で代替できる!

閉まっている(zu)
空いている(offen,auf)
会議などが終わった状態である(aus,am Ende)
疲れている、消耗している(kapput,fertig)
消費してなくなっちゃった(aus/alle)
仕事などが終わっている(fertig)
盗まれたり落としたりして、手元から失われている(weg)
意図的に手元のものをどこかにやってしまっている(weg)
など

Freitag, 12. November 2010

非人称の会話技法

多くの文法書や、ドイツ語の授業において、とりわけ多くの能動態と受動態が話されている。能動文は簡単であるが、受動分は複雑だ。そんなわけで、受動態は集中的に練習されなければならない。
受動態は、ドイツ語会話において、非人称的な表現をしたいなーと思ったとき、重要な可能性、選択肢である。
しかし、それは唯一の可能性ではない。いかに以上のことを実践するためのカタログ全体をのせる。このカタログは、我々がこの章で紹介し、扱われるものである。

Momo-Erstes Kapitel

大きな町と、小さな女の子

昔々、まだ人間たちが今と全くと違う言葉を喋っていたころ、心温かい国々のなかに、大きくて、立派な町が複数あった。そこでは王様と皇帝の宮殿がそびえ立っていて、広い道もあるけど、狭いくて入り組んだ路地もあった。金ぴかで、大理石でできたイエス様の彫刻があるとてもきれいな神殿もあった。さらに、あらゆる紳士の国からやってきた商品が売り出されている、ごちゃごちゃした市場があったり、人々が集まって、ニュースを伝えあったり、世間話をしたりするような、広くてきれいな広場もあった。そして、とりわけお伝えしたいのはこの町にある複数の劇場である。
この劇場は、いまでいうところのサーカスに外見がよく似ているけれど、今と違って、全体が石垣でできていた。観客席の座席は巨大な漏斗のようにお互いに階段状に横たわっていた。上からみたら、その建築物の造形の多くは円形だったり、もっとまんまるとしていたり、もしくは半円状に建築されたものだったりした。人々はこれらの建物を総じてアンフィシアターとよんでいた(アンフィシアター=野外円形だつも げふんげふん 野外円形劇場)

その円形劇場は、サッカー場ほどに大きいのもあれば2,300人ぐらいの観客しか収容できないものもあった。

記念碑や銅像で飾られたすばらしいものがある一方で、飾り気のなくて、イケてないものもあった。これら劇場には屋根というものがないく、すべてが広々としたお天道様の下で開かれていた。そんなわけで、立派な劇場では、強い直射日光や突然の雨から観客を守るための金ぴかの絨毯が座席の上に広げられていた。、一方でイケてない劇場はというと、金ぴかの絨毯のかわりにイグサや藁でできたマットが使われていた。そこにはこう書いてあった。<等劇場では、皆さんが奮発できたのと同じように、絨毯を奮発して用意しました。みなさん熱狂的なお客さんで、それぞれ一枚ずつ望まれていたので。>?

もし舞台上で、感動的、もしくは喜劇的な出来事に観客が聞きいったら、それらは客たちのところにあるので、あたかも????そして、彼らはこの別の真実を盗み聞きするのを好んだ。???

それから1000年の時が流れた。当時の大きな町は滅び去り、神殿や宮殿も取り壊された。風や雨、寒さは熱が、石垣を磨き落として、穴をあけた。そして大きな劇場ですら、まさしく廃墟となった。ボロボロになって砕けてしまった壁で、今はセミが、彼らの単調なメロディーを奏でているだけで、それは、世界が寝息を立てているかのようにも聞こえた・
しかし、今日まで残っている町もあった。もちろんそこに住む人々の生活は」変わってしまったけど。人々は道路で車を走らせているし、電話だって、電気だってもっていた。でも、そんな新しい街並みの中に、いくつか彫刻の施された柱や、扉や、壁の一部やもしくは劇場が、当時の姿のままがのこっていた。そして、そんな街からモモの物語が始まった。
ミヒャエルエンデ の モモ の 原書 を 手に入れました
なかなか 進まないと思いますが、ゆっくり 翻訳を していきたい と 思います
正解(翻訳版) が ないので 正しいのかどうか わからないのが、 これをやろうかどうしようか
迷っている要因 でもあります
追記
訳がないので、わかんないところが多々ありますが、アナザーストーリとしてげふんげふん。