Sonntag, 21. November 2010

人生の中間点(訳)

最近俺は驚くべき発見をした。
アルバートアインシュタインは、相対性理論を発表したのは彼が28歳の時。
俺はもうすぐ27歳になろうとしている26歳の男。もうそろそろ、彼が大仕事を成し遂げたときの年齢に近づいているという事実が、俺を悲しませた。
さらには、後にノーベル賞を受賞させる契機となった Buddenbrooksを書いたトーマスマンも同様にして、その作品を書いたのは26歳だった。
さらに俺は悩まされた。といっても、その28歳とかそのぐらいの歳で、何か世界に向けて紹介できるような、彼らと同様な仕事は、俺はしていない。でも、まだまだ理論的にはまだまだ可能だ(まだ何かできるチャンスはある)、ということを先んじて知っている。
もうすぎたことだ。俺は声を大にしていえる。俺は26歳という年を、世界を動かすような仕事を話遂げていない。
初めはこういう風に自問自答していた。「まあ、アルバートシュタインとか、トーマスマンは天才だったもんな」しかし、俺の女友達は再び俺に再考するように というようなことを言った。彼女いわく「私のおっかさんが私裏いに若かったころ、彼女はすでに仕事を習得して、結婚して、子どもも二人いたのよ。それにおうちもたてたけど・・・亡命してすべてを失ったの。彼女は七年かけて、第二の人生をスタートさせたわ。私と言えば、ま第一の人生も始まってないわ(?)」
ひょっとすると、俺についても、少しずつ、期限が近付いているという兆候が始まっているのかもしれない。期限と言うのは、俺が何かを人前に露呈しなければならない期限、そして、「マジで大人になんなきゃなぁ」ではなく、「マジで大人として存在しなければなぁ」と言わなければならない期限である。本当の人生にける準備期間というのは、もう終わりにしなきゃいけない。もはや、俺は、こう言わなくちゃいけない「俺は人生の中間点に立たされている」と。
それにしても、正しい生き方、というものを認識することはあまりにも難しいというわけではない。アビトゥアをとる。専門を選ぶ。迷いから脱する。海外に行く。論文を書く。大学生活を終わらせる。そして仕事を見つける。そこから先は、やはりまだ分からない。

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