Montag, 15. November 2010

独作文

独作文のネタ。最近独訳しやすいように日本語を考えてしまう癖がついてしまいました。
とりあえず、紙に向かわず考えようということで、ブログに吐きだした文章を独訳しようと思っている次第です。

ドイツの教育

真昼間にバスに乗っていると、下校中の子供たちに出会う。ドイツでは学校は午前中に終わり、家に帰って母親と御飯をたべ、その後、母親が勉強の面倒をみる。私の故郷では、学校は早くとも15時までかかり、その後、一部の人は、塾に行ったりする。家で親が勉強の面倒をみるというのは、まれである。だから、真昼間に子供がランドセルをしょってバスに乗っているのを見ると、私は、病気で早引きかな、と思ったものである。
私の専門は教育ではないので、以下の文章は推測の域を出ないのをあらかじめ述べておく。
家で母親が勉強の面倒をみるというのは、私の故郷の教育のやり方、つまり、外部の組織に一任してしまうという手法に比べて、とても優れていると感じる。
一つ目は自発的な学習の誘発である。母親が面倒をみると言っても、何も母親がエリートである必要は全くない。内容をつぶさに教える必要はない。むしろ、母親の役割は、子どもの自発性の誘発にある。子供の自発的な学びを褒めたり、方向を示唆することで、与えられて学ぶのではなく、自発的に学んでいくことに慣れる。自発的に学ぶことが当たり前になってしまえば、極論すれば、学校に行かずとも、学問はできるのだ。このことは、一生を通じて、その人の知的活動を支えるものである。

教育は家庭教育と学校教育二つのバランスが大事だとおもう。私の祖国では、共働きの家庭が多いため、夜遅くまで学校に残らざるを得ないという子供が大勢いる。これは教育上危惧すべきことだということで、さまざまなボランティアが、読み聞かせをしたり、子どもの世話をしている。この活動はとても尊いものであるが、しかし、本物の家族による教育に勝るものはない。いつか、子供たちが今よりももっと家族と時間を過ごすことができるようになるように、若い世代が、社会の仕組みを少しずつ変えていくべきである。


追記。
日本語に理論展開が崩壊していますが、ドイツ語に訳するときに若干の修正をして、訳し終わりました。これが真っ赤に添削されて帰ってくるわけです(-。-)y-゜゜゜

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